「面倒くさい」の本質とささやかな幸せ

 

福岡着付け教室  麗和塾  内村圭です。

 

「面倒くさい」という言葉は、私たちが何かを嫌だと感じるときや、やりたくないと思うときに自然と口にする言葉です。たとえば、何かの作業に取りかかる前に「だるいなぁ」と思う瞬間、その感情を代弁するように「面倒くさい」という言葉が出てきます。

現代社会では、面倒くさいと感じることが多岐にわたります。例えば、毎日の料理。忙しい日常の中で料理をする時間を確保し、材料を準備し、調理し、後片付けをする。これらの一連の作業が面倒くさいと感じることは、多くの人が経験していることでしょう。家事全般にしても同様です。掃除、洗濯、買い物など、家庭を維持するための作業はどれも時間と労力を要し、時に負担と感じることがあります。

また、人付き合いもその一例です。仕事の場面やプライベートでの社交、家族とのコミュニケーションなど、他者との関わり合いは豊かさをもたらす一方で、時には面倒くさいと感じることもあるでしょう。「ああ、面倒くさい」と思う瞬間は、私たちの日常にたくさん散らばっています。

こうした「面倒くさい」と感じる状況に直面すると、ふと「その全部がなくなったら、どんなに素敵だろう?」と考えることがあるかもしれません。しかし、もし本当に面倒くさいことがすべてなくなってしまったら、どうなるのでしょうか。最初は快適に感じるかもしれませんが、次第にそれが生み出していたささやかな満足感や、生き甲斐が失われてしまうかもしれません。

 

 

 

 

効率性や合理性を最優先にすることは、一見して理にかなっているように思えます。無駄を排除し、物事を迅速かつ正確に処理することは、現代社会において重要視されています。しかし、その結果として日々の生活が味気ないものになってしまう危険性もあります。「面倒くさい」ことには、実は私たちの生活を豊かにする力が潜んでいるのです。

「面倒くさい」と感じる行為の中には、私たちが日常の中で小さな幸せを感じる瞬間が詰まっています。たとえば、着物を着る準備やその過程、着た後のお手入れや片付けなども、確かに時間と手間を要するため「面倒くさい」と感じるかもしれません。しかし、これら一連の作業は、実は自分自身に時間をかける贅沢な行為ともいえるのです。手順に従いながら一つ一つ丁寧に進めることで、心が整い、気持ちがリフレッシュされるのを感じることができます。そして、その時間を楽しむことで、日常のバランスが保たれていることに気付くのです。

このように、「面倒くさい」と思うことは、一見すると避けたくなるものかもしれませんが、その裏には私たちの生活に彩りを与える要素が隠されています。それを楽しむことで、少しずつ生きる喜びを見出すことができるのではないでしょうか。目の前の出来事や作業に丁寧に向き合い、それを大切にすることで、日常がより豊かなものになることを願っています。